胡桃割り考
池の傍にある平らな石に、えくぼのような凹みがいくつかあり、そこに胡桃を置いて叩くのだ。今日は暖かで、金槌を使って落ち着いて一つ一つ 潰していくうちに気づいたのは、胡桃の尻を上に向けて叩くときれいに二つに割れやすいということ。
この2・3年は、鉄製の花瓶の底が力が入りやすく使い易いと思っていたが、力が過ぎると粉々になってしまう。それ以前は、木割り(昔、薪割りに使った)を使って胡桃の頭を上に向けて潰すのが長い間の習慣になっていた。
子供の頃、母親に言われ、やむを得ずに暗くなり始める夕方、北風の吹く屋外に出て、早く終わらせようとやるのだから、時には自分の指を叩いたりしてうまくいかずに、寒かった思い出だけが残っている。
今は、むき実が売られているし、自分で胡桃を割る家庭は少なくなったろう。それ専用の器具も売っているのかもしれない。
それでも、この木割り・・おそらく自分と同年ぐらいだろう。思い出も数々あり、今になって胡桃割りの要領がわかったなんて、亡き母もどこかで笑っているような気がした。
新米
この冬になって3度目の雪払いをした。太陽も見えたが、東へ流れる雲は急だ。
近所の無人精米所へ行ってきた。玄米30kgを車へ上げ下げするのはもはや無理で、ノッコの力を借りる・・というより、こちらが手伝っている状態は、2・3年前には考えられない事だったのに。
この ヒトメボレ 我が家では、3ヶ月遅れの新米である。農家では自宅で消費する飯米は、かなり余分に保有するので、実際に食べるのは年末になるのが普通だ。 我が家では秋に1年分をまとめて買っているということ。
戦後直ぐのころ。 カマスに入れた玄米をリヤカーに乗せ、精米所まで運んだのを思い出す。重いリヤカーを一人で引いて、片道40分ぐらいかかったろう。決して楽しいことではなかった。
神棚の掃除を済ませ、手づくりの注連縄に神垂(シデ)を付けて準備もよし。米袋にまわしたのは特別の意味はなく、撮影の都合だけ。
タタールの海
気温が下がって、朝の道路は凍結状態。車は速度を落としての走行していた。 この雪は根雪にはならないだろう。多分融けると思っているのだが。
今、図書館から借りている本は、先日も書いた「ダッタン疾風録」だが、中公文庫では920円らしい。これが大活字本シリーズでは5分冊になっていて、各巻3,708円・・5冊ならその5倍とは驚きだが、視力の衰えた者には読み易くてすごくありがたいことである。
思い出したことがある。 樺太公立真岡第一尋常高等小学校・・当時は1学年5クラスあった大きな学校だったが、その校歌の歌詞に ♪シュンプウ山の明けの雲 タタールの海の・・という1節は、70年近く以前のことだが、今でもよく覚えている。 小3年の夏まで学校で毎日歌ったのだろうか。今や 昨日のことさえ忘れてしまうというのに。
早池峰の水
早池峰の水が、岳川・稗貫川を経て新堀堰を流れ、わが地域の田畑を潤している。
稗貫川からの取水口(と思われる場所)に一人で行ってみた。施設を眺めただけでは納得できないし、近くに人影は無く聞くこともできなかった。
(旧)新堀村は、昔(鎌倉時代)には長島村といったが、新たに堰を作ったところからつけられた名と聞いた事があり、調べたことがあったのだが、簡単には確証は得られない。昔の人々の苦労を想像するだけである。
左側の流れが稗貫川、右の流れはそれよりちょっとだけ水位が高い新堀堰・・らしい。
「川上から箸が流れてきたので、どんどん上流へ歩いていくと若い女が・・」スサノオノミコトだったかな?・・突然00年前、子供の頃のお話しがぼんやりと思い出された。









最近のコメント